“称号”

「頭良い」 とか 「天才」 とか 「エース」 とか,使う方はただ良かれと思って使ってくれるんだろうけどさ,与えられた側にとっては そんなモノは時に苦痛でしかないという事,あるいは 苦痛とは言わずとも全然嬉しくない時があるという事,どれだけの人が気づいてくれてるんだろうな.

ここで書いてる “時” ってのは,与えられた瞬間よりはむしろ その瞬間を思い返した瞬間なんだよな.その一瞬にして空虚感とか疎外感とか,そんなものを感じるね.今こんな事を書いてるのは,ついさっきその “時” があったからであって.

そんな事を考える一方で,俺に対する周囲の立場の方を考えた場合,そんな言葉しか出てこないのが実際のところだろうな,とも考える.だって はたから見たらそれしかねぇんだもん.人より成績が良い という事実くらいしか.それ以外はむしろ どマイナーなキャラだもんな どー見ても.小中学生の頃は特に顕著だったなぁ.

…とまぁ両サイドの立場を考えてみると,結局は,俺が実際に内側で何をやっていようと何を考えていようと,実世界にある 「俺」 という人間が 表面上の付き合いしかない人間の網膜に結像すると,所詮 上述の言葉たちにしかならないという事かと.像は像だけども実物あっての像なんだから,像を表す言葉を実物が拒絶しても仕方がない,というか受け入れるべきなんだよな.もうすぐ俺も 22.「ホントの俺を分かってよ」 とわめき散らす 構ってクン のままじゃ流石にマズいだろ.あれ ? 1 ヶ月前とは違う事を言ってる気がする (鬱

ん~,それでもなぁ,懐古するたびに空虚感・疎外感を覚えるような半生ってどうなんだよ.